岩波古語辞典補訂版「や」p1499(3)

>この投入の用法は、万葉集などにも見られるが、それは歌の一句としての
>音節数が不足の時で、一句の拍数を整える時に使われる(3)。

>(3)・春の野に鳴く「や」鴬なつけむと我が家の園に梅が花咲く
>  ・やすみしし わご大君の 恐き「や」 御陵仕ふる山科の 鏡の山に

ここの「や」も「あり」で良い。

「春の野に鳴く や 鴬なつけむと」
=春の野に鳴く あり 鴬 なつけむ と
=春の野に鳴いている鴬(を)なつかせようとしたらしい それのために

全体とし
「春の野に鳴くや鴬なつけむと我が家の園に梅が花咲く」
=春の野に鳴いている鴬をなつかせようとしたらしい それのために 我が家の園に梅の花が咲く

接頭辞「CO- KO-」=「と、も」=「(そこ)に、(そこ)へ、(そこ)へ向かって、(それ)に対して、
(それ)を以て、(それ)によって、(それ)のために、(それ)と共に 、一緒に」

「やすみしし わご大君の 恐きや 御陵仕ふる山科の 鏡の山に」
=やすみしし わご大君の 恐き あり 御陵仕ふる山科の 鏡の山に
=我が大君の もったいなく 恐ろしいもの あり 御陵としてお仕えする山科の鏡の山に

これも「や=あり」で良い。「や」は「あり」の娘言素だ。

・春の野に鳴く「や」鴬なつけむと我が家の園に梅が花咲く

この歌を検索していくと、不審なところがある。
万葉仮名では「和何弊能曽能尓=わが(へ)のそのに」にだろう。
しかし読み下し文の中には「わが(や)のそのに」に変わっている。

(へ)が(や)に変わっている。
どっちが当時の正しい発音だったか、というと(へ)が正しい気がする。

「和何弊能曽能尓」の「弊」は漢音で「ヘイ」、呉音で「ベイ」
日本語で「へい、へ」と読む。だから「弊=へ、ヘイ」なのでないか。

つまり編集者が現代の解釈(や=家)に合わせて、
原文の読み下しを(へ)から(や)に変えていると思われる。

http://www.healthveymind.com/topics25.html
>23.春の野に 鳴くや鴬なつけむと 我が家の園に梅が花咲く。
>(読み)はるののに なくやうぐいすなつけんと わがやのそのにうめがはなさく
>(訳)春の野に 鳴く鶯を手なづけようとして 我が家の園に梅の花がさく。

https://www.manyoshu-ichiran.net/waka0837/
>原文 波流能努尓|奈久夜汙隅比須|奈都氣牟得|和何弊能曽能尓|汙米何波奈佐久[笇師志氏大道]
>訓読 春の野に鳴くや鴬なつけむと我が家の園に梅が花咲く[t師志氏大道]
>はるののに|なくやうぐひす|なつけむと|わがへのそのに|うめがはなさく

https://tom101010.hatenablog.com/entry/2021/01/29/141917
>≪書き下し≫
>春の野に鳴くやうぐいすなつけむと我が家(へ)の園に梅が花咲く [算師(さんし)志氏大道(しじのおほみち)]
>(訳)春の野で鳴く鴬、その鴬を手なずけようとして、この我らの園に梅の花が咲いている。
>(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
>(注)算師:物数計算官。笇(さん)=算:数を数える。