岩波古語辞典補訂版 「や」 p1499

>疑問詞を受けない係助詞の一つ
>もっとも古くは感動詞として、掛け声に用いられたこともある(1)。
>それが、歌謡の中で用いられ、歌の途中に投入された(2)。

>この投入の用法は、万葉集などにも見られるが、それは歌の一句としての
>音節数が不足の時で、一句の拍数を整える時に使われる(3)。

>「や」は終止形の下につき文の叙述の終わりに加えられた場合には、
>相手に質問し、問いかける気持ちを表す。

>この場合、話し手は、単に不明・不審だから
>相手に疑問を投げかけるものであるよりも、
>自分に一つの見込みないしは予断があることが多い。

>「雨に降りきや」と問う時、「降ったか降らなかったかわからない」のでなく
>「降ったに違いない」という見込み・予断を持ちながら、
>それを相手に提示して反応を待つのである。
>それが「か」の不明・不審・判断不能とする表現との相違である(4)。

>問いかける気持ちから、命令の意を表すこともある。
>これも「や」の見込み・予断の表明とすることと一連の用法である(5)。
>そして、已然形の下についた場合は反語になる(6)。

>反語とは否定的に問い返すことによって否定する表現である。
>結局は自分の否定的な断定を押し付ける語法である。

>また、平安時代になると、反実仮想を表す助動詞「まし」に「や」が複合して
>「ましや」となる(7)。

>これも「まし」によって事実に反することを想定し、それに「や」を加えることによって
>自分の見込みを表明する言葉で、現代語でに訳せば「…ないだろう」に当たるものである。
>このようにして「や」は次第に「か」と共通の意味を持つようになった。

>しかし、全く不明・不審であるとして疑いを発する役目を役目を持っていた「か」の
>強い疑問表現は奈良時代すでに次第に好まれなくなり、代わって「や」が愛用されて、
>「や」を使うことが多くなり、平安時代になると「か」に代わって
>「や」が広く問いに使われる勢いとなった。

>「か」は疑問詞「誰」「いつ」「いづく」などと協同して使われる場合に
>限られるようになり、「や」が平安時代和文には多く使われるが、
>これは単に不問・不審として投げ出すのでなく、
>「…の見込みがあるがどうですか」と相手に問いかける気持ちが濃厚である。
>この方が柔らかで優しい表現とされたんであろう。

>しかし、世相が険悪で、強い者が弱い者を圧倒する気風の行き渡った室町末期になると
>口語の世界では細かく相手に持ち掛けて問う「や」を使うよりも、
>直截的な「か」を使うことが多くなり、「や」を圧倒する勢いとなって、
>現在では「や」は衰え、「か」がもっぱら質問にも疑問にも使われている。

>以上のように使われた「や」は、はじめ文節の切れ目ならばどこにでも入れたので、
>文末だけでなく、文中の句の切れ目にも入るようになり、いわゆる連体止めの
>係り助詞の仲間入りをする。