公理(3)の説明

公理(3)助詞「と、も」は「共に、一緒に…」の説明します。
これは梶浦浩氏「縄文人の遺産」に詳しく出ています。

縄文人の遺産、梶浦浩、p294より
アイヌ語 コ(ko)
>itak(話す) →  ko-itak (へ話す) 誰かに対して話す
>nukar(見る) → ko-nukar (へ比べる) 何かに対比して見る
>poye(混ぜる)→ ko-poye (に混ぜる) 何かに混ぜる
>oman(行く) →  ko-oman (へ行く) どこかに向かっていく

>日本語 こ(ko) 
> たえる→ こ・たえる (何かの力とか物に対して耐える)
> 削ぐ → こ・そぐ (何か粘着する物に抗して削ぐ)
> 練る → こ・ねる (板などに向かい押しつけて練る)
> 擦る → こ・する (何かに対して押しつけて擦る)
> 突く → こ・づく (何かを突く)

>グリムの法則によってkoがtoやhoに子音推移したもの
>と(to) 
> 惑う → と・まどう(何かに対して処置を迷う)
> 呆ける→ と・ぼける(何かに理解できない振りをする)
> 絶える→ と・だえる(誰かに向かって断絶する)

>ほ(ho) 
> 解く → ほ・どく(何か縛っている物を解く)
> 埋むる→ ほ・うむる(神に対して亡骸を埋める)

>以上のko,to,ho,などが頭につく動詞は、何か対向する力やものを
>意識する場合に用いられる。これらはアイヌ語の動詞にkoがつく用法と
>無関係とは思えない。

梶浦浩氏の説明の通りだと思います。
アイヌ語で接頭辞「ko-」、英語で接頭辞「co-」、
ドイツ語で「ko-」、中国語では「共、gong」と発音します。

梶原浩氏の説に加えて、
「ko-、こ-」は接頭辞から助詞「と、も」になったと思います。
「ko-、こ-」 → 「と、も」です。

日本語の「と、も」が全世界に展開して「co- ko-」に
なったとは思えない。

中国語の場合(新漢字林)
>共 gong とも、ともに、一緒になって、共存、共にする、
> 一緒にする、共有する

係助詞「や」=「後続部分疑問文」、係助詞「か」=「先行部分疑問文」

係助詞は、ドイツ語やイギリス英語の決定疑問文の語順に
似ていると言っているのは、私だけでしょうから、
係助詞「や」と「か」の疑問文に名前を付けました。

係助詞「や」の疑問文を「後続部分疑問文、後方部分疑問文」と、
後続部分疑問文は、ドイツ語やイギリス英語の決定疑問文と同じです。

係助詞「か」の疑問文を「先行部分疑問文、前方部分疑問文」と、
名付けました。

係助詞「や」は、「あり」の娘言素で意味は「あり」だ。
係助詞「か」が動詞なのは、係助詞「や」の類推からほぼ間違いない。
動詞なのはわかったが、どういう動詞なのかわからない。

作業仮説として、ほんとの作業仮説としてw
「か=こ+あり=共に+あり=ko+ari=koari=ka=か」
がありそうな気がする。

「新治筑波を過ぎて幾夜 寝つる+か」…平叙文
=幾夜 寝つる+か
=幾夜 寝つる+共に+あり
=幾夜は、寝つると共にある

「新治筑波を過ぎて幾夜 か 寝つる」…疑問文
=幾夜か寝つる
=幾夜+共にあり+寝つる(と)
=幾夜は、寝つると、共にありますか?
=幾夜寝たんですか?

何とも言えないな、もう少し例文が欲しいね。

係助詞「か」と「動詞+主語・名詞句」の語順は酷似

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%B2%BB%E5%9B%BD
>「新治 筑波を過ぎて幾夜か寝つる
>(新治、筑波を過ぎて、幾夜寝たことであろうかと)」

係助詞「か」は、「か」の前の部分が疑問文になる。
「寝つる」が名詞句で「か」が動詞だ。

新治筑波を過ぎて幾夜 か 寝つる … 疑問文 … 動詞+名詞句
新治筑波を過ぎて幾夜 寝つる+か … 平叙文 … 名詞句+動詞

「寝つる」が疑問なのでなく、「幾夜」が疑問だ。
「か」の前の部分が疑問になっている文だ。

>岩波古語辞典補訂版p1500
> 倉橋の山を高みか夜隠り(よごもり)に出で来る月の光乏しき
>=夜隠りに出で来る月の光乏しき(コトハ)、倉橋の山を高みか(高イカラカ)

※訳 倉橋山が高いからか、夜の闇の中に出て来る月が遅く、光の少ないことよ。
「夜隠りに出で来る月の光乏しき」が名詞句で「か」が動詞。
※夜隠り(よごもり)、深夜

 倉橋の山を高みか夜隠りに出で来る月の光乏しき … 疑問文
=倉橋の山を高み 夜隠りに出で来る月の光乏しき+か … 平叙文

「倉橋の山を高み」のせいだろうか?という疑問文だ。
「か」の前の部分が疑問になっている文だ。

>岩波古語辞典補訂版p1500
> 一つ松幾夜か経ぬる
>=一つ松、経ぬる(ハ)幾夜か

 一つ松幾夜か経ぬる … 疑問文
=一つ松幾夜 経ぬる+か … 平叙文

「「幾夜」経た松だろうか?風の音が清らかだ」という意味で
「幾夜」が疑問になっている疑問文だ。
「か」の前の部分が疑問になっている文だ。

係助詞「か」は、「か」の前の部分が疑問文になっている。
係助詞「や」は、「や」の後の部分が疑問文になっている。

高校古文なんかで良く説明されている。

係助詞「や」と「動詞+主語・名詞句」の語順は酷似(2)

ひとつ前に書いた、バリエーションとしてあげた下の疑問文だが

(0)いとあやしきさまを人 や 見つらむ … 原文

これは「見つらむ」を名詞句としている。だから
平叙文=見つらむ+や(あり)=名詞+動詞=正置
疑問文=や(あり)+見つらむ=動詞+名詞=倒置

これが抱合語なんだろうね。

(1)いとあやしきさまを や 人見つらむ … 「人見つらむ」が名詞句
(2)いとあやしき や さまを人見つらむ … 「さまを人見つらむ」?
(3)いと や あやしきさまを人見つらむ … 「あやしきさまを人見つらむ」?
(4)や いとあやしきさまを人見つらむ … 「いとあやしきさまを人見つらむ」が名詞句

「いとあやしきさまを」を分割するのは、間違いかもしれない。
「いと、副詞、非常に」「あやしーき、形容詞連体形、あやし」「さま、名詞、様子」

最終的には↓

(0)いとあやしきさまを人 や 見つらむ … 原文
(1)いとあやしきさまを や 人見つらむ … 「人見つらむ」が名詞句
(4)や いとあやしきさまを人見つらむ … 「いとあやしきさまを人見つらむ」が名詞句

係助詞「や」と「動詞+主語・名詞句」の語順は酷似

係助詞は「そ、なむ、や、か」で文末が連体形で終わる。
「こそ」が已然形で終わる。

「ぞ、なむ」が強調文で、「や、か」が疑問文、「こそ」が強調
と教科書に書いてある。

>出典源氏物語 若紫
>「あないみじや。いとあやしきさまを人や見つらむ」
>[訳] まあ大変だこと。ひどく見苦しいさまを人が見てしまっているだろうか。

「人や見つらむ」
=人+や+見+つ+らむ
=人+あり(公理1)+見(用)+つ(終)+らむ(体)
=人+あり+見て+しまった+と思う
=人が見てしまっているだろうか?

※品詞分解
人=名詞
や=係助詞
見=動詞連用形 み-未然 み-連用 みる-終止 みる-連体 みれ-已然 みよ-命令
つ=完了の助動詞、連用形に接続
  て-未然 て-連用 つ-終止 つる-連体 つれ-已然 てよ-命令
らむ=推量の助動詞、終止形に接続
  〇-未然 〇-連用 らむ-終止 らむ-連体 らめ-已然 〇-命令

この形が疑問文になるとのことだ。
「や」は「あり」の娘言素で意味は「あり」、つまり動詞だ。
動詞だが活用を失っているので助詞と呼ばれている。
機能は動詞「あり」だが、見かけは助詞で、まあ体言の類だ。

「人や見つらむ」の疑問文を平叙文に戻すと
=人+見つらむ+や(助詞=体言)
=人が見たと思う+あり

これが疑問文になって「人や見つらむ」になった。
この形は「動詞+主語」のドイツ語、イギリス英語の
決定疑問文に酷似している。

係助詞「や」の文末が連体形なのは、
「や」が活用を失い助詞=体言に感じられたからだ。

だけれども話者は「や=あり」だと知っていた。
「あり」で文を終わらせたけど、
「や=あり」を体言に感じて、「らむ」は連体形にした、と思う。

繰り返しだが、
平叙文で「人+見つらむ+や」=「人+見つらむ+あり」
疑問文にすると「人+や+見つらむ」=「人+あり+見つらむ」

バリエーションとして、下の疑問文があるだろうか?

(0)いとあやしきさまを人 や 見つらむ … 原文
(1)いとあやしきさまを や 人見つらむ
(2)いとあやしき や さまを人見つらむ
(3)いと や あやしきさまを人見つらむ
(4)や いとあやしきさまを人見つらむ
(※)いとあやしきさまを人見つらむ や … 平叙文

(4)の疑問文は特異だけど、
造語原理「動詞+主語=疑問文」からすればあって良い。
探せばありそうな気がする。

「動詞+主語」は疑問文のほかに、強調や感嘆…があった。

「主語+動詞」と「動詞+主語」の語順

動詞が文の一番最初にあるV1語順なら
例えば疑問 強調 感嘆…にという風になった。

Hans trinkt heute Rotwein. ハンスは今日赤ワインを飲みます。(V2語順)
Trinkt Hans heute Rotwein ? ハンスは今日赤ワインを飲みますか ?(V1語順)

英語の場合は

Hans drinks redwine today. ハンスは今日赤ワインを飲みます。(V2語順)
Drinks Hans redwine today ? ハンスは今日赤ワインを飲みますか ? (V1語順)

しかし英語の疑問文の場合は↑(V1語順)にはならなくて

Does Hans drink redwine today ? ハンスは今日赤ワインを飲みますか?

こういう風になりますと教わった。しかしこれは現実と違っていて

Drinks Hans redwine today ?

こういう言い方がイギリス英語として現在もある。…英語の歴史p131・寺沢盾
この英語の方がドイツ語風で伝統的英語だと思う。

「人称による動詞の活用は抱合語の名残だ。…縄文人の遺産・梶浦浩」
主語と動詞の位置関係、動詞は主語と隣り合っていて、つまり一体で
それが言い慣わされて、動詞の人称による活用になったのであろう。

日本語にも主語(名詞)+動詞、動詞+名詞の例があるのではないか。
例えば動詞の連用形、用言につながる動詞は名詞+動詞ではないか、
動詞の連体形、体言に連なる動詞は動詞+名詞ではないか。

行く春の図

松尾芭蕉
>行く春や 鳥啼き魚の 目は泪

>春は過ぎ去ろうとしているが、
>それを惜しんで鳥は鳴き、
>魚は目に涙をたたえているかのようだ。

アタマの「行く春や」は「行く+春+や」だ。
「や」は「あり」の娘言素で意味は「あり」だ。…公理(1)
「行く春や=行く+春+あり」となる。

「行く春」の解釈として「春は過ぎ去る」となっている。
要するに「春は行く」と言っている。
「行く春=春は行く=春が行く」で、画像で考えると同じだろ。

動作に強調注目すると「行く+春」となり
春に強調注目すると「春+行く」になるのであろう。

いずれにせよ{主語、動詞}はペアでないとわかりにくい。
さらに「主語+動詞」を平叙文・正置と呼び、
「動詞+主語」を倒置文と呼び、疑問、強調、感嘆の意味を与えた。
こういう意味付けが日本語にもあると思う。

語順は「主語+動詞」でも「動詞+主語」でも良いが…

公理(4)主語と動詞は隣り合っていれば良い。
主語+動詞、あるいは動詞+主語でも良い。
これは抱合語の特徴です。

言葉は自分の意思を伝える手段だ。
基本的に誰が何をやったかを伝えなければならない。
そのためには動作主体と動作が、必ずペアでなければならない。
つまり言語は抱合語でないと役に立たないのではないか?

つまり「動作主体・主語+動作」がペアでいる必要がある。
順番は「動作主体+動作」、又は「動作+動作主体」でも良かったはずだ。

「動作主体+動作」を平叙文・正置と呼び逆を倒置と呼んで
平叙文以外の特別な機能を持たせるようにしたと想像する。

特別な機能には、疑問 感嘆 強調…がある。
だから言葉の出発時点では「主語+動詞」でも「動詞+主語」でも
機能は同じだったが、時間が下るに従いそれぞれ機能が分かれてきた。

こういう痕跡が残っている言語がないかと探してみると
ドイツ語にありました。

ドイツ語はV2語順、V2原理がある。
動詞(V)が文の2番目に来る原則とのこと。
だからV2語順、原理と言う。英語も二番目の語は動詞です。

2番目にある動詞の、直前か直後に主語があれば
文の趣旨は変わりありません。強調したい点の差異はあるでしょう。

>(1)Hans trinkt heute Rotwein. ハンスは今日赤ワインを飲む。
>(2)Heute trinkt Hans Rotwein. 今日ハンスは赤ワインを飲む。
>(3)Rotwein trinkt Hans heute. 赤ワインをハンスは今日飲む。

Hans=ハンス男の名、 trinkt=飲む、heute=今日、Rotwein=赤ワイン

ドイツ語は、動詞の直前か直後ならば主語を置ける。
基本的に「主語+動詞(正置)、動詞+主語(倒置)」でも
文意は同じで、強調したい点が違うのでしょう。