「こ=共に、一緒に」は輸入品・借用品

日本語辞書、古語辞典の「こ」には、英独中アイヌ語の様な意味がない。
ないけれども、「こ・たえる、こ・そぐ、こ・ねる、こ・する、こ・づく」
の様な現象はある。

これらの日本語は、製品に例えれば、最終製品に該当する。
「こ・たえる、と・ぼける、ほ・どく…」の最終製品があるのに
それを構成している部品「co- ko- 共- こ-」がない。

最終製品はあるが、製品を構成してる部品がないのならば、
つまりこれらの日本語は輸入品・借用品だと確実に言える。

最終製品のクルマがあるのに、
部品のエンジン、ミッション等がないのと同じだ。

後世の辞書編集者がわからなかったし、古人も使っていた当時から
世界的に共通な「co- ko- 共- こ-」の造語原理を知らなかった。
もし知っていれば古人も造語してたし、受け継いでいたはずだ。
辞書編集者も造語原理を書いたはずだ。

そして最終製品移入が止まれば、それで終わった。
「co- ko- 共- こ-」の造語原理を知らないから、もう自分で造語出来ない。
「co- ko- 共- こ-」による造語作用は続かなかった。

しかし「co- ko- 共- こ-」は、「と、も」=「共に、一緒に…」に
なっていたのではないか。
「と、も」だと格助詞だが「共に、一緒に…」だと副詞だ。

元々「co- ko- 共- こ-」の出自は「共に、一緒に…」だと副詞なのでないか。
そういう意味で先祖返りだ

「co ko 共- こ-」=「共に、一緒に…副詞」だったが、
それが動詞や名詞に付いて「co- ko- 共- こ-」の接頭辞になった。

原因不明だが日本語の場合は「co- ko- 共- こ-」の接頭辞が消えた。
「co- ko- 共- こ-」→「共に、一緒に…」→「と、も」が残った、と思う。

この想像を裏付けるものが万葉集に残っている。
公理(1)「は=あり」+公理(3)「と、も=共に、一緒に」を適用して
裏付けの根拠にしたい。対象は「はも(上代語)」。